沢村さん(女性、29歳、看護師)
私は東京の内科で4年働き、26歳で離島に移住しました。
離島では、診療所の看護師として3年働きました。
離島応援ナースの公式サイト
離島応援ナースで働いていた島。
以前の私は「仕事は、苦して、辛くて、酷く惨めで、ひたすら我慢するもの」だと思っていました。
そのくらい看護の仕事に絶望していました。
でも離島での経験は、その考えを根底からひっくり返し、看護観を180度変えてくれ、新しい人生を教えてくれました。
この体験を「こんなこともあるんだ・・」という意味で誰かに伝えたく、書いてみたくなりました。
興味があったら読んでみてください。
この記事の内容
離島に移住するきっかけ
わたしの看護師人生は挫折から始まった。
新卒の頃。
濃密すぎる人間関係、毎日終電帰りの忙しさ、責任の重さから来るプレッシャー。
ボロボロになりながらも「頑張っていればいつかは楽になる!」と、自分を励ましながら働いていた。
看護師3年目。
病棟の先輩達が次々と辞めていった。
その結果、わたしが病棟で一番のベテラン(師長を除いて)になってた。
責任のある仕事ばかりが回ってきた。誰にも相談できない激しいプレッシャーの中、本当に精神的がおかしくなってきて、いつ壊れてもおかしくない綱渡りをしているような毎日だった。でも耐えた。私がやらないと、患者さんに迷惑がかかるし、後輩も不安だろうし、職場を立て直したいとも思っていた。
けど1年耐えたある日。出勤中の電車内で涙が止まらなくなった。うつ病だと診断され、そのまま退職することになった。
後輩は「ゆっくり休んでください」と泣いてくれた。でも自分だけ逃げるようで、ただただ申し訳なかった。
退職してから離島生活まで
退職してからの半年間は、体がおかしかった。
突然涙が出て止まらない症状が続き、とても働ける状態じゃなかった。
でも「仕事を探さなきゃ」という意志は持っていた。
そんなとき雑誌で「離島応援ナース」の特集記事を見つける。
同じようにうつ病で苦しんだ看護師が、離島で復職し、頑張っている姿が書かれていた。
泣いた。
今思えば記事を見た瞬間から、私の離島生活はスタートしていたと思う。
離島応援ナースに申込
私はナースパワーの離島応援ナースに申込んだ。
ネットでナースパワーに登録後、担当者から連絡があり、離島応援ナースの資料を送ってもらった。
それから担当者と2回面談し、離島のことを色々と教えてもらった。
離島のしごと。
離島で住むところ。
離島の生活。
離島の給料や待遇。
募集している病院。
派遣期間。
派遣を終えてからのこと。
この面談で不安が消え、離島で働くイメージを持つことができた。
私でもやっていけそうだと思った。
派遣決定まで
離島での面接は無く、書類を送って結果を待つだけだった。
返事は意外と早く、1週間ほどでOKとの結果をもらった。
離島での新生活
離島までの飛行機代は、すべて病院側が負担してくれた。
寝泊りする寮も用意してもらった。マンションの1室が派遣者の寮になっていていた。予想外に立派な建物だった。
1LDKで一人で使うには少し広かった。
テレビや冷蔵庫など生活に必要なものはすべて備え付けられていた。
サーフボードやシュノーケリング用品まで置いてあった。ニヤりとしてしまった。
離島ナースの収入
月給38万円だった。
税金と健康保険を引かれ手取り32万円。
本土にいたころより多くもらえた。
離島での仕事
医師2人、看護師17人の小さな病院だった。
でも離島としては大きな規模。
外来と訪問看護がメイン。
外来は、診察の介助や採血が業務の中心になる。
訪問は、バイタルサインの測定、記録、内服薬のセッティングを行う。
検査の結果、重篤の方には本土の病院への紹介状を書く感じ。
離島での仕事は、看護師3年目のわたしでも働ける環境だった。
離島で困ったこと
離島はとにかくお店が無い。
コンビニは車で20分かかり、本屋は40分ほどかかる。
スーパーや雑貨店はすぐ近くだが、商品が少なめ。
離島はちょっとした物が手に入らない。
使い捨てのコンタクトだったり、化粧品だったり、自分に合う生理用品だったり。
だから離島生活ではネット通販がとてもありがたかった。
送料が500円ほど上乗せされるが、それでも欲しい物が手に入るのはありがたい。
離島ではスマホが必須。
台風
離島には台風がヤバい。
本土に比べ、その威力が大きい。
離島で初めて台風に遭遇した時は、その凄まじさに仰天した。
風で体が浮いたり、車がひっくり返ったり、家が飛ばされたりが本当に起こる。
台風が来るたびに、建物の補修、避難所の設置、高齢者の方々の安否確認、救急対応などで大忙しになる。
でもそのお祭りが楽しくもあった。
離島とお金
離島ではお金が貯まりやすい。
お金を使わないから。
離島はお金を使うことろが無い。
だからわたしは1年の離島生活で貯金が260万円溜まっていた。
離島ナースの収入が高いことを差し引いても、出費の低さが後押ししてくれ、予想外にお金が溜まってくれた。
離島の人達
離島の人達は親切だった。
特に医療関係者は重宝がられる。
なぜか皆、野菜や魚をくれる。
病院で働いていると、島のおじいさん、おばあさんと顔見知りになるので、病院からの帰り道に挨拶をしていれば、家に着くころには自転車のかごが一杯になるほど食べ物が入っていることもあった。
離島の時間
離島は時間の流れが緩やかだった。
夏のカラッとした暑い日の午後が大好きだった。
海辺の日陰でダラダラ過ごすのが大好きだった。
誰もいない砂浜が大好きだった。
青すぎる海を一人占めするのが大好きだった。
アパートの大家さんがヨレヨレのTシャツで真昼間っからお酒を飲んでいる姿が大好きだった。
近所に住むネコと一緒に、海の堤防の上で遊ぶのが大好きだった。
6段変速のママチャリで1日かけて島を一周するのが大好きだった。
離島には、ドラマや映画の非日常が本当にあった。
本土では想像もできなかったような。
子供のころの夏休みが戻ってきた感覚。
この感覚は自分で体験しなきゃ分からないと思う。
離島のナース達
某SNSで離島ナースの集まりに入っていた。
10人ほどの小さなグループだったが、全員が離島で1年以上働いていた。
派遣で4年働き、正式に就職して永住した人もいた。
スキューバダイビングをやっている人もいた。
サーフインをやっている人もいた。
沖縄民謡にハマり、NHKのど自慢に出た人もいた。
魚を釣り、野菜を作り、自炊を楽しむ人もいた。
島の町おこしに頑張る人もいた。
色んな離島を渡り歩く人もいた。
本土では趣味を楽しむ余裕なんてなかった。
だけど離島では、みんながそれぞれ自分の好きなことを楽しんでいた。
派遣期間
はじめは半年の契約だった。
正直、長居をするつもりは無かった。
でもあまりの居心地の良さに半年伸ばし、1年後にはさらに2年伸ばしてもらった。
結局3年も離島で看護師をすることになる。
離島ナースを終えて・・
いま私は長野県の外科病院で正社員として働いている。
離島ナースを3年で区切りをつけ、実家の長野に戻った。
長野で働きだしてから約2年。
不思議と昔のような辛さがまったく無い。
3年の離島生活は、看護師としての自信を与えてくれ、仕事の楽しみ方を教えてくれ、私の人生を確実に変えてくれた。
もしいつか結婚して子供ができたら、次は家族で移り住みたいと思っている。
離島のみなさん、本当にありがとうございました。
離島ナースで働きたい方へ
看護師に疲れた、人生を変えてみたい、離島で働いてみたい、という人はぜひ行ってみてほしい。
離島は、たぶんアナタの人生観を変えてくれるから。
人生は一度だけ!冒険できるのは若いときだけ!生活もガラッと変えられる!
私は離島を経験しておいて本当に良かったと思う。こんな世界もあるんだって肌身で感じられた。
仕事に悩んでいるなら、ぜひあの場所を経験してもらいたい!
絶対に人生変わります。
一生に1度くらい離島で生活するのも良いものですよ!
(^_^)-b
参考:離島応援ナースの公式サイトへ
https://px.a8.net