出産・子育て、介護などの理由で離職する女性の話、よく聞きますよね。
そのまま辞めてしまう人もいれば、1年たらずで復帰する人も。
中には何年ものブランクを経て、復帰する人もいます。
これは看護師の世界にもよくあることですね。
「技術も知識も忘れてしまった・・・」
「体力面が心配」
「新しいことについていけるのか・・・」
復職に不安を感じている看護師さんはとても多いです。
そこで今回はブランク後、実際に復職した看護師さんにインタビューしてみました。
三者三様の復職体験。
ぜひ参考にしてくださいね!
「看護力再開発講習会」は利用価値あり
M.Hさん(女性40代)
総合病院6年 個人病院5年
40歳女性です。
子育てに専念するために退職、その後復職しました。
復職前の状況
独身時代は総合病院の病棟勤務(整形外科)をしていました。
20代後半で結婚、すぐに妊娠。
出産後は夫の希望で、子育てに専念していました。
復職したのは今から5年前、子供達だけで留守番が出来ると判断したからです。
上の子は小学5年生、下の子は3年生になるタイミングでした。
復職した病院
整形外科個人病院です。
復職するためにしたこと
看護師専門の賠償保険に加入する準備を勧めたり、現役の看護師の友人にアドバイスをもらったりしました。
また、看護協会で行われている「看護力再開発講習会」にも参加しました。
復職活動
ハローワークに通ったり、転職サイトに登録したりしました。
最終的には看護協会で勧められた職場を選択しましたが、あらゆる情報を比較検討して、十分なリサーチを行った上で選択しました。
大変だったこと
やはり久しぶりの現場には緊張しました。
大変だったことは、ブランクの間自宅で過ごしていたため、朝起きられないとか、体がなまっていて仕事がきつく感じたなどという点でしょうか。
復職してみて
経験のある科を選択したことで、徐々にカンを取り戻せたように思います。
また、個人病院を選択したことにより、総合病院ほどブランクによる変化が大きくなかった点も、復職しやすかった理由だと思います。
アドバイス
長い間仕事を休んでいると、復職するのには勇気がいります。
その点から考えると「看護力再開発講習会」に参加したことは、復職への弾みになりました。
同じ不安を持つ人たちと交流することで刺激にもなりますし、一人ではない、頑張ろうという気持ちになります。
なにより看護協会のスタッフの方たちは押しが強く、こちらがためらっていると、ぐいぐいと後押ししてくれます。
そして「面接に行きます」と言わざるを得ないような状況を作ってくださいます。
私自身おかげで復職できたようなところもあります(笑)
また、現役の看護師である友人たちのアドバイスも有効でした。
「総合病院の○○先生が辞めて開業した」とか「○○病院は総合病院の先生にも評判がいい」などの情報をもらえました。
就職先を検討する際にはかなり参考になりました。
求人票には記載されていない情報こそが決め手になったりもするので、かなりありがたかったです。
友人に紹介してもらって
B.Dさん(女性50代)
小児外科4年 外来2年 保育園計7年 血液浄化センター(人工透析室)8年
夫と2人の子どもがいる50代です。
子どもたちは手が離れ、今は夫と2人暮らし。
趣味はガーデニングと登山です。
復職前の状況
保育園の看護師として働いていました。
親の介護に加え、子供が入院したりと、働きながらすべてをこなすのは困難になり退職。
親が亡くなり時間ができたことで、復職を決意しました。
復職した病院
地域密着型の病院の透析室です。
復職活動
友人を介しての紹介です。
セミナーや研修に参加する前に、勤務が決まりました。
大変だったこと
こちらの希望として夜勤がないことを条件に挙げていました。
外来もしくは採血室でという話で紹介され、面接を受け入職となったのですが、実際の配属先は透析室でした。
学生の時、透析室の見学程度でしか透析というものに触れたことがなく、そんな無知な状態で、命がけの透析という治療にあたれるのか不安しかなかったです。
ましてやブランクが長く、記憶力も体力も落ちている40代半ば。
幸いなことに職場の人間関係はとても良く、温かい人柄の人ばかりでした。
小さなことまで丁寧に教えてくださり、とても助かりました。
しかし、仕事は一から十までわからないことばかり。
まずは機械のことを覚え、扱えるようになること。
治療内容の複雑さ。
処置の多さ。
痛みと恐怖を伴う穿刺。
2週間に一度の検査の分析と治療の変更。
(本来ならこれは医師が行うことなのですが、ある程度まで看護師が解析したデータを医師とのカンファレンスに持ち込み、治療内容の提案までこちらがしなければならないやり方の職場でした。)
透析治療を行う患者さんそれぞれの疾病が全く違うため、まずそれを勉強し、それに合わせた看護計画を立てるなど。
短い治療時間内では終われないほど仕事が多くて、「外来勤務かな。」と思っていた自分にとっては、本当に苦しい毎日でした。
患者さんは私よりも病気のことをよく知っていて、中にはひとつひとつにあれこれ揚げ足を取るような方がいて泣かされました。
また穿刺は、「この看護師ではいやだ!」となじられることも何度もあり、辞めてしまいたいと何度も思いました。
毎回命がけの治療をしているが故のもの、どこにも当たることの出来ないつらさであることが理解できるような余裕が自分に出来てから、だんだんと打ち解けることができるようになりました。
そうなるまでの3年間くらいは、精神的にも肉体的にもかなりつらい毎日でした。
復職してみて
最初は辛いことも多く、何度も辞めたいと思いました。
なんだかんだと透析室も8年目。
今でも日々勉強ですが、なんとかやっています。
仕事も趣味も充実していることで、メリハリのある生活を送っています。
アドバイス
納得がいく職場を希望するなら、何を自分が得意とするか、何が好きか、よく考えて入職するための準備をした方が懸命です。
勤務時間やお給料よりも、働きがいがあって精神的にもハードでない職場選びをお勧めします。
看護師は天職
M.Hさん(女性30代)
総合病院5年 耳鼻咽喉科クリニック2年
看護師は天職だと思っています。
しかし自分の病気が原因で辞めることになりました。
復職前の状況
結婚後もしばらくは仕事を続けていましたが、妊娠、産休に入りました。
看護師という仕事が好きなので、なるべく早くの復帰を希望。
しかし産休中に自分自身の病気が発覚。
子育てもあったので、そのまま復帰せずに退職しました。
今も定期的な通院は必要ですが、症状は落ち着いています。
主治医のOKも出たので、復帰を決めました!
復職のきっかけ
復帰には近所に住む義母も応援してくれました。
「定年退職して時間ができたし、孫の学校帰宅後の面倒見るよ。」と言ってくれたんです。
私が看護師の仕事が好きなのをわかってくれていました。
平日4日、放課後は義両院のお世話になってます。
(ちなみに夫は飲食店勤務なので、帰宅は夜中で頼れません。)
復職活動
転職サイトに登録し、ハローワークにも通いました。
特に希望していたのが夜勤がないこと、通勤時間が短いこと。
わりとすぐに車で20分ほどの耳鼻咽喉科クリニックに勤務することが決まりました。
大変だったこと
耳鼻科も外来も初めてだったので、初めは戸惑うことが多かったです。
見慣れない検査器具も多いですし、時間がない中での勉強も大変でした。
また耳鼻科は案外子どもの患者さんが多いのですが、ものすごい暴れて困ったりもしました。
復職してみて
看護師の仕事が好きなことを改めて認識しました。
協力してくれている家族には感謝です。
まとめ
いかがでしたか?
3人の復職を紹介しました。
いざ復職するときには、どの人も大きな不安があることがわかりましたね。
それでも勇気を出して、復帰の道を選んでいます。
医療の現場は常に勉強が必要です。
体力面の不安も出てきますが、ぜひ一歩踏み出してみましょう。